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キジ島

キジ島(キジー島、キージ島、Кижи、Kizhi)は、ロシア連邦カレリア共和国(メドヴェージェゴルスキー地区 Medvezhyegorsky District)のオネガ湖に浮かぶ島。キジ島は、ロシア正教会の木造教会建築の美しいアンサンブルで知られる。1960年島全体が木造建築の特別保存地区に指定され、ロシア全土から様々な木造建築が移築された。1990年木造教会建築がユネスコの世界文化遺産に登録された。ロシアでも有数の観光地であると同時に世界遺産中、最も人気の高い文化遺産でもある。

キジ島は長さ約7キロメートル、幅500メートルの細長い島である。キジ島はオネガ湖のほかの5000あまりの大小様々な島嶼(最大で35キロメートル、最小は2メートルあまり)に囲まれている。16世紀に起源を持つキジ・ポゴスト Kizhi Pogostと呼ばれる木造教会建築群は、ロシアでもよく知られた古い文化遺産のひとつである。

キジ Кижиという単語は、この地域の先住民であったカレリア人及びヴェプス人の言葉で「祭祀の場」を意味する。この時点では彼らの宗教は自然崇拝であり、そのための祭祀の場として使われた。14世紀から15世紀にかけてノヴゴロドが支配領域を拡大すると、カレリア人とヴェプス人はノヴゴロドに同化し、正教に改宗した。正教改宗後もこの地は聖なる地として受け継がれていった。

キジ島は16世紀には、周辺の島嶼に成立していた130あまりの集落の中心地であった。この頃にはすでに顕栄聖堂(プレオプラジェンスカヤ教会)と生神女庇護聖堂(ポクローフスカヤ教会)の原型が成立していたと思われる。しかし、記録によれば顕栄聖堂は1690年に落雷で焼失し、生神女庇護聖堂も老朽化のため破却された。1700年から北方戦争が始まったことにより教会の再建は中断したが、戦後、ロシアはスウェーデンのバルト海における覇権を奪取したことから、カレリア地域における支配もより確固たるものとなった。また、ピョートル大帝による新首都サンクト・ペテルブルクの造営に代表される新たな社会建設の熱を帯びた時代精神が、この地における木造建築勃興を促すのに影響を与えたとされる。
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こうして1714年再興なった顕栄聖堂は、まさに珠玉の建築と呼ぶにふさわしいものとなった。22の玉ねぎ型ドーム、最上部は高さ37メートルのドームを持つ、この木造バロックのイコノスタシスは圧巻である。顕栄聖堂には暖房が無く夏季専用の教会であったので、1764年顕栄聖堂に隣接する形で9つのドームを持つ生神女庇護聖堂が建造された。1874年には鐘楼が建立され、こうして160年の歳月を掛けて、3つの木造教会建築によるアンサンブルが完成した。これらの建築において最も特筆すべきひとつに釘をまったく使用していないことが挙げられる。鉄以外の金属はおろか、目地さえも木から作るという徹底振りを無名の職人たちは示した。また、様式の異なる複数の建築による空間構成はその後のロシア建築に大きな影響を与えた。

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2009年03月15日 13:34に投稿されたエントリーのページです。

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